私の英語ストーリー #1:洋画に目覚めた中学時代




 

こんにちは!

サンディエゴ在住、スマホチャットで英語を教えているNaokoです。

中学生の時から英語の勉強を始めて、35年以上が経とうとしています。振り返ってみると、英語と映画はいつも私のそばにありました。私がどのように英語の世界を広げていったのか、数回に分けてつづっていきたいと思います

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洋画にめざめた中学時代

私が洋画に夢中になり始めたのは中学生の頃。特に「アウトサイダー」という映画にはノックアウトされました。

Naoko

アメリカの高校生って、こんなにカッコいいの?

こんなに大人っぽいの?

この映画にはカッコいい若手俳優がたくさん出ていました(トム・クルーズ、ロブ・ロウなど)。ブラットパック(brat pack)と呼ばれていた彼らは、1980年代の青春映画に出演していた若い俳優たちのこと。もっさりした埼玉の中学生から見た彼らは、本当にキラキラしてまぶしかったのです!

私にとっての映画のふるさと、大宮ハタシネマに足しげく通いました。当時、洋画は必ず2本立て。「フラッシュダンス」と「フットルース」も、私の心に鮮やかに残っている作品です。

そして映画のエンドクレジットの最後にいつも出てくる「字幕翻訳:戸田奈津子」という文字。「映画を見て、それを日本語に訳すという職業があるのか!」と知ってびっくりしました。映画を見るのが仕事なんて最高!と思ったのです。当時、映画の字幕翻訳はほとんどが戸田奈津子さんでした。

学校の授業よりNHKラジオの基礎英語

 

中学で始まった英語の授業。授業は面白くありませんでした。そもそも楽しい授業を期待していなかったと思います。学校の授業というのは、先生の説明を聞いて板書をノートに写してテストに備えるものだ、と思っていました。

映画を少しでも理解できるようになりたいと思って、NHKラジオの基礎英語講座を聴き始めました。ラジオ講座をカセットテープに録音して、日本人の講師とネイティブの先生とのやりとりを聞くのが楽しくて何度も繰り返し聴いたものです。ラジオ講座を聴く習慣は、大学生になるまでずっと続きました。

洋画を観ることが英語の勉強になっていたか?というと疑問ですが、とにかく楽しくて仕方がありませんでした。セリフを聴き取れるわけでもなく、ひたすら字幕を追っていましたからね。でも俳優の声を聞きながら字幕を追うスタイルが、吹き替えよりも好きでした。日本で吹き替えよりも字幕のほうが人気があるのは、日本人の識字率の高さと関係があるということを知ったのはかなり後のことです。

「第2の戸田奈津子になる」という夢

戸田奈津子さんは、大物スターが来日すれば必ずといっていいほど通訳をしていました。「字幕翻訳家=俳優の通訳」というイメージは、戸田さんが確立したわけです。(でも、何となくトム・クルーズと一緒にいるイメージが強いという印象があるのは私だけ?)

映画を見るのが仕事で、ステキな俳優が来日したら通訳をつとめるなんて、そんな職業、他にない!

「私も戸田奈津子さんみたいになりたい!」と思いました。目に見える分かりやすい憧れが存在していると、ピンポイントで目標を定めやすいです。

日本以外の国を旅する、ということにも憧れていました。世界の国々を紹介するフジテレビの「なるほどザ・ワールド」という番組が大好きで毎週見ていました。この番組の突撃レポーター益田由美さんにも憧れて「第2の戸田奈津子になれなかったら、第2の突撃レポーターを目指そう」と考えたこともあります(アナウンサー試験があることを私はまったく知らなかったのです、ははは)。

必死に受験勉強、大学では英米文学専攻

 

自分で言うのもなんですが、私は真面目な優等生タイプ。こつこつ地道に努力するのが好きで、成績だけはいつもよかったのです。親に「大学はとにかく国立か公立!」と言われていたので、大学は東京外語大に行こうと思っていました。しかし、どうにも数学がダメで親に泣きつきました。

Naoko
塾にも行かないし絶対に浪人もしないから私立の文系に行かせてください!

せっせと受験勉強をしました。どういう参考書を使ったかは忘れましたが、とにかく猛勉強しました。なにせ受験地獄と言われていた時代です。英語はとにかく過去問を繰り返しやりました。英単語は目で見るだけでは覚えられなくて、必ず鉛筆で紙に何度も書いた記憶があります。私は左利きなので、横書きだと左手の小指側が真っ黒になりました。ペンだこもできました。パソコンがなかった時代ですから書くのは当たり前だったのですが、今の若い人たちはどうしているんでしょう?書かなくても覚えられるのかな?

猛勉強が功を奏して無事、慶應大学に入学。文学部で英米文学を専攻しました。英米文学専攻ですから、もちろん英語の本を読みました。

読んだはずです…

1冊は覚えています。トニ・モリソンの「ソングオブソロモン」。

しかし、これ以外はまったく覚えていません。読まなかったのかもしれない。正直言って、勉強したという記憶がほとんどないのです。

つらい受験勉強を乗り越えて、やっと大学生になったという解放感。「日本の大学生は勉強しない」を地でいく私でした。受験時代に映画を見られなかった反動で、たくさん映画を見ました。

1つだけ記憶に残っている授業があります。学内でも際立ってカッコよかった女性の教授が、歌手スザンヌ・ベガのTom’s Dinerという歌を使って授業をしてくれたのです。歌で英語を勉強するのってワクワクしました。

 

大学時代にはJ-WAVEの朝番組Tokyo Todayのナビゲーター、ジョン・カビラさんのバイリンガルぶりにシビれました。この記事にも書きましたが、世界の面白いニュースを見つけてきて、その当事者に予告なしで突撃電話をするのです。聞いているだけで、ドキドキわくわくしました。英語が話せると世界が広がる!と実感させてくれたのがジョン・カビラさんです。

大学2年の夏にはサンフランシスコ郊外で2週間ホームステイを経験しました。初めての海外旅行、何から何まで初めてで緊張したことをよく覚えています。ホストファミリーとは、つたない英語で何とかコミュニケーションできました。2週間はあまりにも短く、本当にあっという間に終わってしまったのが残念でした。

自分も通った中学校で2週間、英語の教育実習

 

大学では教職課程を取っていました。先生になりたいと思っていたわけではありませんが、文学部は教職課程に必要な科目と専攻の必須科目がかなりかぶっていて、それほど苦労しなくても取れたのです。

大学4年生のとき、自分も通った中学校で2週間、英語の教育実習をしました。担当したのは2年生。私が通っていたころにもいた先生がまだ何人もいて、「お前も成長したな!」と言われて恥ずかしかったのを覚えています。

実習の2週間は、あっという間に終わってしまいました。生徒たちがみんな素直でかわいくて、とにかく楽しかったです。

 

教育実習が終わった日に花束をもらって写真撮影。 旧姓は「大田」です。

 

教育実習が終わってから、就職活動を始めました。

 

To be continued.

 







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ABOUTこの記事をかいた人

サンディエゴ在住の英語インストラクター。字幕翻訳家の顔も持つ。一人では挫折しがちな英語学習を、スキマ時間の英語チャットで習慣づけするサービス「チャットde英語レッスン」を提供中。趣味は映画・テレビドラマ観賞、読書、ピラティス。娘が2人。