映画配給会社に就職、字幕翻訳家になる【私の英語ストーリー#2】

英語ストーリー




Naoko
サンディエゴ在住、映画とドラマ💗の英語インストラクターNaokoです。

私と英語の切っても切れないストーリー。

2話目の今回は、大学を卒業してから字幕翻訳家になるまでの話です。

大学を卒業後、映画配給会社に就職。

6年間勤めて退社。独立して字幕翻訳家になりました。

Disclosure:記事の中の一部はアフィリエイトリンクです。詳しくはプライバシーポリシーをご覧ください。)

ふわふわしてた就職活動

就職活動をしたのは、まだバブル時代の残り香があった1991年。

黒や紺のスーツを着こんで、興味がある企業に勤めている先輩に話を聞きに行きました。

究極のゴールは字幕翻訳家になることだけど、大学を卒業してすぐに字幕翻訳家になれるわけではないことはわかっていました。

Naokoの心の中

まずは大企業に勤めて社会経験を積むのも、なんとなくよさそう。

でもやっぱり働くなら英語を使う仕事がいいな〜♡

字幕翻訳家の経歴を読むと、字幕の制作会社で働いてから独立というパターンが多いみたい。

自分でも驚くほどのふわふわぶり。でも、22歳の小娘が考えることなんてこの程度でしょう。

入りたい会社、見つけた!

リクルートの新卒採用情報誌をパラパラめくっていた私の目に飛び込んできたのが「ギャガ・コミュニケーションズ」。

1986年設立。私が就職活動をしていた1991年はまだ創業5年。社員も70名ほどでした。

海外の映画マーケットで、映画の権利を買いつけるのが主な業務。日本での販売権をビデオメーカーに売り、ビデオメーカーがビデオ化します。急激に増えていたビデオレンタルの波にのって、急成長している会社でした。

配給会社として映画を劇場公開もしていました。ミシェル・ファイファー主演の「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」を配給した会社と知って興奮したのを覚えています。ちなみにこれ、すごくいい映画ですよ。

海外映画の買い付けは英語力が必要。

映画の劇場公開ということは字幕翻訳も関わってきます。

Naokoの心の中
見つけた、私が入りたい会社!

先輩女史には「やめとけ」と言われる

知り合いをたどって、ギャガに勤めている大学の先輩に会うチャンスを得ました。

その先輩が一言。

新卒で入る会社じゃないわね

ギャガは1991年から新卒採用を始めたばかり。ほとんどの社員は中途採用でした。。

でもその先輩女史が、帰国子女でカッコよかったのです。日焼けした肌、メッシュの入った長い髪、もちろん英語堪能。リラックスした雰囲気がステキでした。

ここまでピンポイントに希望がかなう会社はなかったので、先輩の言葉はそっと“心の片隅に小さくメモして”(「セーラー服と機関銃」の歌詞にありましたね)入社を決めました。

 映画も観ました!

誰にも嫉妬しなくてすむ仕事

ふわふわした大学生だった私も、これだけは真実、と思うことがありました。

「字幕翻訳家になれたら、どの職業をもうらやましいと思わない」ということ。

大企業に就職してやりがいのある仕事ができたとしても、きっと「字幕翻訳家になりたかった」という気持ちが残ると思ったのです。

字幕翻訳家になる夢をかなえるための道筋が見える会社は、私にとってギャガだけでした。

入社してからの日々

入社してすぐには字幕の部署に配属してもらえませんでした。

営業、社長室(秘書業務、海外子会社管理)、広報を4年。ずっと「字幕の部署に異動したい!」と言い続けていたのですけどね。

でも、広報時代にはカンヌ映画祭で自社の記念パーティーをコーディネートしたり、海外子会社の連絡窓口を担当したり、英語を使うチャンスが多かったのはうれしかったです。

cannes film festival

南仏のカンヌ

 

a party at Cannes Film Festival

パーティーのゲストだったダニエル・ビダルさんと。「オー・シャンゼリゼ」を歌った人。

なさけない自分の英語力

alphabet

うれしかったとはいえ、英語の実力は伴っていませんでした。日常会話はおろか、ビジネス英語は経験したことがありませんでしたから。

それまで実際に英語を話したのは、ラジオ講座で繰り返し練習した時と大学2年の夏に2週間サンフランシスコにホームステイした時だけ。

でもまわりからは「英文科出てるんだから英語できるよね!」と言われます。必死にがんばりましたが、何とかその場をしのいで切り抜けていただけだったような気がします。

海外とのコレポン(correspondenceの略)は、まずワードで作成して印刷。上司にチェックをしてもらってからファックスしました。国際電話は毎回緊張してオロオロしましたね。

とはいえ、社員が少なくて新人にもいろいろ仕事を任せてくれる会社だったのはラッキーだったと思います。英語を使うしかない状況に追い込まれて、きたえられました。

Naoko
字幕への夢は忘れず、週末には字幕翻訳の学校(バベル翻訳学校)に通いました♪

映画に字幕をつけるプロセスをイチから勉強

movie subtitles

入社して4年後、めでたく字幕制作の部署に異動できました。会社が海外で買い付けてきた映画に日本語の字幕をつけて(当時はフィルムプリント)、劇場にプリントを納めるまでが仕事です。

字幕翻訳家に翻訳を依頼して、スケジュールを調整。上がってきた翻訳をチェックします。誤訳がないか、誤字脱字・差別用語がないかどうかも目を光らせました。映画字幕特有の文字を書く「書き屋さん」に会えたのもこのころです。

憧れの戸田奈津子さんに会ったのは数回。いつも忙しそうにしている方でした。

戸田さん以外にも、字幕翻訳家としてピラミッドの上のほうにいる方々にお会いしました。みなさん個性豊かで魅力的。「私もいつか!」と、夢は膨らむばかりでした。

字幕翻訳家として独立、フリーランスに

subtitle translation

字幕制作の部署で2年修行したあと、思い切って会社を辞めて独立しました。

フリーランスになると「次の仕事が来るのか?」という不安が常につきまといます。だから予定さえ空いていれば、来るもの拒まず引き受けていました。

エロい映画でもグロい映画でも何でも翻訳しましたが、いやはや世界にはいろんな映画があるなぁ〜と驚くことが多かったです。とにかく、字幕の仕事ができる!というだけでハッピーな私でした。

娘2人の妊娠出産で小休止はあったものの、10年間ずっと字幕翻訳の仕事をしました。少しずつ劇場公開作品を頼まれるようになり、自信がついてきたのもこのころです。

字幕翻訳家としてはペンネーム「蒼井尚子」を使っていました。当時のブログ「字幕翻訳家:蒼井尚子の生活 1秒4文字に凝縮する想い」がまだ残っています。昔の日記を読むようでかなり気恥ずかしいですね。

最大のコンプレックスは「英語が話せない」こと

字幕翻訳家になってよく聞かれる質問がこれ。

everyone
字幕翻訳家?じゃあ 英語ペラペラなんですね。

この「じゃあ」の中に「戸田奈津子さんみたいに」という意味が含まれているのですよ。少なくとも私はそう感じました。

お世辞にもペラペラではなかった私は、いつもこう答えていました。

Naoko
いえ、字幕翻訳は話す必要がないので、私はペラペラじゃありません。

心の中では「英語が話せるようになりたい」とは思っているのに行動が伴っていない日々でした。日本で暮らしていると、英語を話す機会も必要もありません。「英語が話せないと生活が成り立たない」という状況にならないと話せるようにならないのかも…とあきらめていた部分もあります。

時間があるときには英会話学校(駅前留学のNOVAです)にも通いました。しかし一歩学校の外にでたら、英語を話すチャンスはほぼゼロ。それ以外にも、ネイティブに個人レッスンを受けたり、サイマル・アカデミーで通訳を夢見たり、いろいろと試行錯誤しました。

「英語が話せるようになりたいけど話せない」ということが、最大のコンプレックスでした。

現在の私から、渡米前の自分へのアドバイス

「ぺらぺらに話せなければ英語が話せるとは言えない」と思い込んでいた私。

タイムマシンで当時に戻れるなら、自分にこう言ってあげたいです。

Naoko
「あなたは英語が話せない」って誰が言ったの?自分でそう思っているだけ。

完ぺきを目指さないこと。日本語で言いたいことの7割ぐらい英語で言えれば十分よ。

関連記事:マインドセットを整えることの重要性

「字幕翻訳家になる」という夢は叶えたものの戸田さんレベルには到底及びません。でも字幕翻訳ができる、というだけで幸せを感じて満足していました。

ただ、常に心のどこかで「英語が話せるようになるために何か突破口が欲しい」と思っていました。

そんな時、なんと40歳を目前にしてカリフォルニア州サンディエゴに移住することになったのです。

To be continued.

英語ストーリー

サンディエゴ移住決断の経緯、英語の壁【私の英語ストーリー#3】

2018年3月13日




ABOUTこの記事をかいた人

映画とドラマをこよなく愛する英語インストラクター。2009年からサンディエゴ在住、元字幕翻訳家。映画とドラマで英語を楽しみながら学ぶ方法を提供中。趣味は映画/ドラマ観賞、読書、ピラティス。娘が2人。