私の英語ストーリー#2:映画配給会社に就職、字幕翻訳家に

 

こんにちは!

サンディエゴ在住、スマホチャットで英語を教えているNaokoです。

私と英語の切っても切れないストーリー。2話目の今回は、大学を卒業してから字幕翻訳家になるまでの話です。

映画配給会社に就職

私が就職活動をしたのは、まだバブル時代の残り香があった1991年。

次々と大手企業に就職を決める友人を横目に、社員が70人ほどの映画配給会社で働くことを決めたのも「字幕翻訳家になる」という夢を見据えてのことでした。

この映画配給会社は海外の映画マーケットに行き、日本での配給権を買い付けていました。ビデオレンタル屋が急増した時期と重なり、その後すごい勢いで成長します。

入社してすぐには字幕の部署に配属してもらえませんでした。

営業、社長室(秘書業務、海外子会社管理)、広報を4年。ずっと「字幕の部署に異動したい!」と言い続けていたのですけどね。でも、広報時代にはカンヌ映画祭で自社の記念パーティーをコーディネートしたり、海外子会社の連絡窓口を担当したり、英語を使うチャンスが多かったのはうれしかったです。

南仏のカンヌ

パーティーのゲストだったダニエル・ビダルさんと。「オー・シャンゼリゼ」を歌った人。

うれしかったとはいえ、英語の実力は伴っていませんでした。日常会話はおろか、ビジネス英語は経験したことがありませんでしたから。それまで実際に英語を話したのは、ラジオ講座で繰り返し練習した時と大学2年の夏に2週間サンフランシスコにホームステイした時だけ。でも周りからは「英文科出てるんだから英語できるよね!」と言われます。必死で頑張りましたが、何とかその場をしのいで切り抜けていただけだったような気がします。

海外とのコレポン(correspondenceの略)は、まずワードで作成して印刷、上司にチェックをしてもらってからファックスしました。国際電話は毎回緊張してオロオロしましたね。

でも、社員が少なくて新人にもいろいろ仕事を任せてくれる会社だったのはラッキーだったと思います。英語を使うしかない状況に追い込まれて鍛えられました。

字幕への夢は忘れず、週末には字幕翻訳の学校に通いました。

映画に字幕をつけるプロセスをイチから勉強

入社して4年後、めでたく字幕制作の部署に異動できました。会社が海外で買い付けてきた映画に日本語の字幕をつけて(当時はフィルムプリント)、劇場にプリントを納めるまでが仕事です。

字幕翻訳家に翻訳を依頼して、スケジュールを調整。上がってきた翻訳をチェックします。誤訳がないか、誤字脱字・差別用語がないかどうかも目を光らせました。映画字幕特有の文字を書く「書き屋さん」に会えたのもこのころです。

憧れの戸田奈津子さんに会ったのは数回。いつも忙しそうにしている方でした。

戸田さん以外にも、字幕翻訳家としてピラミッドの上のほうにいる方々にお会いしました。みなさん個性豊かで魅力的。「私もいつか!」と、夢は膨らむばかりでした。

字幕翻訳家として独立、フリーランスに

字幕制作の部署で2年修行したあと、思い切って会社を辞めて独立しました。

フリーランスになると「次の仕事が来るのか?」という不安が常につきまといます。だから予定さえ空いていれば、来るもの拒まず引き受けていました。エロい映画でもグロい映画でも何でも翻訳しましたが、いやはや世界にはいろんな映画があるなぁ〜と驚くことが多かったです。とにかく、字幕の仕事ができる!というだけでハッピーな私でした。

娘2人の妊娠出産で小休止はあったものの、10年間ずっと字幕翻訳の仕事をしました。少しずつ劇場公開作品を頼まれるようになり、自信がついてきたのもこのころです。

字幕翻訳家としてはペンネーム「蒼井尚子」を使っていました。当時のブログ「字幕翻訳家:蒼井尚子の生活 1秒4文字に凝縮する想い」がまだ残っています。昔の日記を読むようでかなり気恥ずかしいですね。

最大のコンプレックスは「英語が話せない」こと

字幕翻訳家になってよく聞かれる質問がこれ。

everyone
字幕翻訳家?じゃあ 英語ペラペラなんですね。

この「じゃあ」の中に「戸田奈津子さんみたいに」という意味が含まれているのですよ。少なくとも私はそう感じました。

お世辞にもペラペラではなかった私は、いつもこう答えていました。

Naoko
いえ、字幕翻訳は話す必要がないので、私はペラペラじゃありません。

心の中では「英語が話せるようになりたい」とは思っているのに行動が伴っていない日々でした。日本で暮らしていると、英語を話す機会も必要もありません。「英語が話せないと生活が成り立たない」という状況にならないと話せるようにならないのかも…とあきらめていた部分もあります。

時間があるときには英会話学校(駅前留学のNOVAです)にも通いました。しかし一歩学校の外にでたら、英語を話すチャンスはほぼゼロ。それ以外にも、ネイティブに個人レッスンを受けたり、サイマル・アカデミーで通訳を夢見たり、いろいろと試行錯誤しました。

「英語が話せるようになりたいけど話せない」ということが、最大のコンプレックスでした。

今の私から10年前の自分へのアドバイス

 

「ぺらぺらに話せなければ英語が話せるとは言えない」と思い込んでいた私。

タイムマシンで10年前に戻れるなら、自分にこう言ってあげたいです。

Naoko
「あなたは英語が話せない」って誰が言ったの?自分でそう思っているだけ。

ハードルが高すぎるの。完璧を目指さないこと。

日本語で言いたいことの半分ぐらい英語で言えれば十分よ。

「字幕翻訳家になる」という夢は叶えたものの戸田さんレベルには到底及びません。でも字幕翻訳ができる、というだけで幸せを感じて満足していました。

ただ、常に心のどこかで「英語が話せるようになるために何か突破口が欲しい」と思っていました。

そんな時、なんと40歳を目前にしてカリフォルニア州サンディエゴに移住することになったのです。

 

To be continued.

 

 


チャットde英語レッスン

英語を使いたいけど、使うチャンスがない方。手軽なチャットで毎日英語でやりとりをして、英語を使う習慣をつけましょう。間違い、大歓迎!わかりにくい部分は日本語で丁寧に説明します。


ABOUTこの記事をかいた人

サンディエゴ在住の英語インストラクター。字幕翻訳家の顔も持つ。一人では挫折しがちな英語学習を、スキマ時間の英語チャットで習慣づけするサービス「チャットde英語レッスン」を提供中。趣味は映画・テレビドラマ観賞、読書、ピラティス。娘が2人。